だいたいからして、汚いのだ。卑怯なのだ。
岡田有花とそれに併合する人達は、必ず汚いのだ。
特別な能力や特別な欲望を持つ人達を「普通」というフィールドに持ち込んでストーリーを作る。決まってそうだ。毎回そうだ。僅かなポイントを付いて「普通」をでっちあげ、「普通」をアピールする。特別な人間を「普通」だと強引に定義して、普通の人間が「努力、幸運、インターネット」という三種の神器の魔法の小箱で何かを手に入れた事にして、物語を書いてしまうのだ。捏造してしまうのだ。
普通の大学か。早稲田が普通か。
違う。普通ではない。普通の大学ではない。
普通の女子大生か。その顔が普通か。
違う。普通ではない。普通の女子大生ではない。
特別な女子大生なのである。
そして特別な大学生なのである。
僅か数パーセントの上澄みの、そのまた数パーセントの人間なのだ。
そのような人物がどうして普通を騙るのか。
何故、普通であると言い張るのか。
答えは単純である。
それは勝利の為である。
普通を夢見て普通を自称する人間は、誰も皆同じである。特別な才能を持った人間が、特別な境遇に育った人間が、特別な欲望を抱いた人間が、「健気な努力で手にした素敵な勝利」というストーリーを歩む為に、「普通」という勝てるフィールドに降りてくるのだ。彼らは力が有るが故に、普通という戦場で戦えば必勝を約束されているのである。楽勝なのである。それを得る為に、即ち勝利を得る為に、彼ら上澄みの幸運で力強い人達は「自分は普通である」と頑なに言い張り、「普通の人間」である事をことさらアピールする。自らが普通の人間であると世間一般に認められさえすれば勝ちなのだ。普通であると認められる事は、「勝利者である事を認められる」とイコールなのだ。彼らにとって普通というフィールドは容易く生ぬるい世界であり、万が一にもそのフィールドへの参加が許されれば、それは即ち勝利者であることを、そして成功者であることを意味するのである。そういえば、先日インギーと内田裕也と僕の3人で白木屋に飲みに行った時に裕也さんが核心を突いた話をしていた。
「あのさぁ、あのね。
最近ね、あれよ。
ロックでもねーやつが。
ロックを騙ってね。
ロックだって言うぅ。
スターでもなんっでもねーやつが。
スターだぁ、スターだぁ。
言ってるんだよ。
ロックスターだって。
ふざけんなだよ。」
裕也さんはいつも良い事を言う。ほんと、ふざけんなである。普通でない女性が普通を騙る事でどれだけの普通の女性が抑圧されたか。世間一般の愚かな男達があれを普通だと思う事で、どれだけの女性が癒えることのないダメージを被るか。言葉の暴力である。破壊行為である。普通罪である。これはパワーハラスメントなのだ。抑圧なのだ。力による支配なのだ。普通ではない人間が普通を騙る事で、本来普通であったはずの人達は劣等感と敗北を植え付けられて洞窟の中へと逃げ込んでゆく。そういう世界を僕達は真実の言葉によって、即ちブログというものの力によって打ち砕かねばならないのだ。岡田有花を、坂口綾優を、それ以外の「下のフィールドへと降りてくる者共」を完膚無きまでに打ち破り、破壊し、破滅に追い込まねばならないのである。自らを矮小化して見せる力有る者による普通汚染という純然たる暴力を、僕等は全てを賭して阻止せねばならないのである。ロックでもスターでも無いのにロックスターだとか言ってるような汚物共を、ブルーダイヤで消臭せねばならないのである。消し去らねばならないのである。本当にふざけんなである。決して許してはならないのである。